Rd.
グランプリ
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15
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鈴鹿
10/9

 

 [鈴鹿とファンの長きに渡る信頼関係]

 

1987年に鈴鹿でF1が初開催されてから20年以上の時間が経つ。当時はアイルトン・セナ、ホンダエンジン、中嶋悟といった要素がF1人気を引っ張り、空前のF1ブームが世を席巻していた。そこにバブル経済が重なり、日本の企業はこぞってF1に参戦した。

 

バブルが崩壊し、日本企業が撤退するとF1ブームは一段落、正常な人気に戻り良識あるファン達だけが鈴鹿に残った。

その後、ホンダやトヨタがチームとして参戦したが大きな成果を挙げることなくF1を去っていった。

自動車業界が経済の中心にある日本といえど、F1との相性は決してよいものではなかった。

 

2011年3月11日、日本は東日本大震災に見舞われた。世界中から注がれた無償の愛。

 

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開幕戦オーストラリアGPではF1ドライバー、関係者が哀悼の意を示した。

 

シーズン中、"今年、F1は日本で開催できるのか?"、海外メディアから声が挙がったが、バーニー・エクレストンは"全く問題ない"と不安を払拭した。

 

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10月の鈴鹿。週末はいつもと同じ賑わいを見せた。 

岐阜県から来た親子はフェルナンド・アロンソのファン。

 

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「ヴェッテルも結構好きだよ。可夢偉は・・・最高!」

そう叫ぶと少年は観戦スタンドへと駆け出して行った。 

 

今年も鈴鹿には様々なコスチュームを身に纏ったファンが集合。

フェラーリの跳ね馬をモチーフにしたグループは大人気で写真撮影をせがまれる。 

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来年も彼らに会うのが待ち遠しい。

 

スタンドに戻ると観客から大きな声援が湧き上がっている。

その対象は鈴鹿のコースマーシャル達だ。なぜ・・・?

 

鈴鹿のコースマーシャルはF1日本GPのために準備をする。

安全で円滑なレース運営を行うのが彼らの務め。普段、彼らが目立つことは無い。

唯一、彼らが輝くのは決勝直前のパフォーマンスタイム。

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第1コーナーの観客からは大きな声援が送られる。 

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小林可夢偉応援席、そして被災者を招待したバーニーシートからも大きな声援が。 

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小林可夢偉-2009年の日本グランプリ金曜日にティモ・グロックの代わりにフリー走行に参加。

次戦ブラジルGPではキミ・ライコネンやジェンソン・バトンといった元王者達と伍する走りをみせ、最終戦アブダビGPでは6位入賞。トヨタは撤退したが、可夢偉は名伯楽ペーター・ザウバーの目に留まった。

 

2010年、小林可夢偉はヘアピンカーブでバリチェロやアルグエルスアリといったライバル達を次々にパス、スタンドは興奮の坩堝と化した。 

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今年も可夢偉が前を走る度に大きな声援が送られる。 

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しかし、日出づる国の侍は異国の屈強なる男達が作り出すうねりに飲み込まれていった。

 

午後4時が過ぎて西日が落ちていく。 

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西ストレートを全快で走りぬけ、130Rを6速のまま飛び込んだマシンがシケインで一気に200km/h以上、減速する。

鈴鹿のシケインは嘗てセナとプロストが接触した場所。

伝説となったあの場所に、ファンは「歴史の目撃者」になろうと毎年、スタンドは満員となる。 

 

今年は130RがDRSの検知ゾーンとなったため、ドライバー達はシケインで飛び込まず、ホームストレートで勝負を賭けた。

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スリリングな場面は目の前では起きなかったが、これもまたレース。

 

レースが終わると若き王者がタイトル連覇を決めていた。

数年前、フェルナンド・アロンソが25歳でタイトル連覇、皇帝ミハエル・シューマッハに引導を渡したとき、よもやスペインの英雄を超える若者が登場するとは思わなかった。ヴェッテルは今季15戦中9勝。表彰台を逃したのはわずか1回。抜群の安定感だった。

 

3位フィニッシュ後、喜びを爆発させて鈴鹿を一周するヴェッテルには祝福の気持ちと感謝の気持ちが入り交ざった拍手と声援が送られた。

 

西日が落ちると共にグランプリは終焉に向かっていく。

"夢の時間"の終わりを感じるファン達はどことなく寂しそう。

 

"今年も鈴鹿のF1は最高だった"、"10年後も、20年後も鈴鹿でF1を観たい"。

そう思いながらファンは家路へ向かった。

 

鈴鹿が築き上げてきた伝統や文化は長きに渡り、一人ひとりが積み重ねてきたもの。

決してオイルマネーや金融ファンドによって一瞬にして作られた空虚なそれではない。

 

鈴鹿- それはモータースポーツへの情熱を注いだ本田宗一郎とそれに応えたファンが作り上げた至高の空間。

(2011年10月9日)

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