INDY CAR >> 2011年 >> 第17戦:ラスベガス
[写真=2011年:INDY500を制してミルクを飲むダン・ウェルドン]

2011年の最終戦としてラスベガス・モーター・スピードウェイでスタートしたレースは、11周目に多重アクシデントが発生し、アクシデントに巻き込またダン・ウェルドン選手(Sam Schmidt/BHA with Curb Agajanian)の死亡が搬送先の病院で確認されました。赤旗中断となったレースは、続行されないままキャンセルになりました。ウェルドン選手は今年を含め、インディ500で2度優勝しているドライバーでした。
[ダン・ウェルドンProfile]
生年月日 : 1978 年6 月22 日
出身地 : イギリス・エンバートン
◇インディカー・シリーズにおける戦績(2002 年~2011 年)
デビュー戦 : 2002 年シカゴランド
出場回数 : 134 戦
チャンピオン : 1 回(2005 年)
ポールポジション : 5 回
優勝 : 16 回
◇略歴
生まれ故郷のイギリスでレース活動を開始し、1999 年に渡米してUS F2000 ナショナル・チャンピオンシップ、フォーミュラ・アトランテック、インディ・ライツで腕を磨き、2002 年にパンサー・レーシングからインディカー・シリーズにデビューしました。03 年はアンドレッティ・グリーン・レーシングのドライバーに抜擢され、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得。04 年シーズンは第3 戦ツインリンクもてぎのインディジャパンでシリーズ初優勝を果たしました。そして、フル参戦3 年目の05 年にはインディ500 での勝利を含む、通算6 勝を挙げてシリーズ・チャンピオンに輝いています。2011 年はインディ500 にスポット参戦し、自身2 度目の優勝を達成。しかし、3 戦目のスポット参戦となった最終戦ラスベガスの決勝レースにおいて多重クラッシュに巻き込まれ、搬送先の病院にて死亡が確認されました。享年33 歳。
[写真=2010年:全ドライバー紹介セッションにて佐藤琢磨と会話をするダン・ウェルドン]
ウェルドン選手のマシンは、ターン2で発生したアクシデントに巻き込まれた15台のうちの1台でした。
発端は2台のマシンによる小さな接触でしたが、そこから瞬時にして連鎖的にアクシデントは拡大。後方集団の中を走っていたウェルドン選手のマシンは宙に舞い上がり、コース外側のSAFERウォールとキャッチ・フェンスに激突、ウェルドン選手は事故直後にヘリコプターでユニバーシティー・メディカル・センターへ運ばれましたが、身体に受けた傷は大きく、33歳で逝去しました。
ウェルドン選手は、Hondaが2003年にインディカー・シリーズへの参戦を開始した際に、アンドレッティ・グリーン・レーシングの一員としてHondaインディV8の開発に携わりました。インディカーのレースには通算134戦出場し、16回の優勝を飾り、トップ10フィニッシュは実に93回を記録しています。ウェルドン選手は2005年にインディ500で優勝し、その年にシリーズ・チャンピオンの座まで駆け上がりました。また今年の5月29日に開催されたインディ500で、2度目の優勝を果たしました。
ウェルドン選手は、CARTシリーズから始まるツインリンクもてぎラウンド(インディジャパン)でのHondaの初優勝を2004年に達成しました。翌2005年も連覇を飾っています。
エリック・バークマン(HPD社長)
「今日はHondaファミリーにとって悲しい日となりました。計ることができないほど大きなものを失ったのです。私たちにとってダンは単なるドライバー以上の存在でした。彼はHondaファミリーの一員でした。しかし、誰よりも、私たちの思いと祈りを彼の家族、スージーと幼い男の子二人に寄せたいと思います。ダンはモータースポーツに対して情熱を持っており、すばらしいパーソナリティーを備え、レース界の人々みんなと友だちでした。彼の才能と献身は、私たち全員に影響を与えていました。彼を今後もずっと忘れることはないでしょう。私たちHondaのファミリー全員が、深い哀悼の意を彼の家族、友人、そして世界中のファンに捧げたいと思います」
(ホンダ:プレスリリース)
[写真=ダン・ウェルドンの悲報を受けて、追悼の意を示すデモランの様子]
