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本田 宗一郎(1906年11月17日 - 1991年8月5日)
本田技研工業(通称:「ホンダ」)の創業者。
[年表]
1948年
本田技研工業株式会社を浜松に設立。同社代表取締役就任。
1961年
藤沢武夫とともに「作行会」という財団法人を設立。若手研究者や学生に対して匿名で奨学金を交付した。
1973年
中華人民共和国を訪れた帰国直後の会見で、本田技研工業社長を退き、取締役最高顧問に就任。
1983年
取締役も退き、終身最高顧問となる。
1989年
日本人として初めてアメリカ合衆国の自動車殿堂入りを果たす。
[主な発言録]
「君たちは、企業の犠牲になるな。自分の生活をエンジョイするために働きに来るべきだ。」(新入社員研修会で)
「社長なんて偉くも何ともない。課長、部長、包丁、盲腸と同じだ。要するに命令系統をはっきりさせる記号に過ぎない」
「もっとやれ! どんどんやれ! 俺の家なんか売っ払ったっていいんだ、徹底的にやれっ!」 (マン島から羽田空港(当時)に帰ってきた遠征チームを出迎えて)
「歴史もなければ、伝統もない。レースの専門家なんてひとりもいません。ウチにあるのはウチらしい技術だけなんです。・・・まさに「夢」のようです。」(F1コンストラクターチャンピョンになった会見で)
「俺も大変いい加減な社長だったけど、今度の社長は俺よりもっといい加減な社長だからな!皆がちゃんとしてくれないと大変なんだよ、頼んだよ!!」(創立35周年記念式典で)
「ほんとは、現職にいる時、うちの社員と名のつく人に全部あって握手してやりたかった。社長を辞めて、やっとその念願を果たすことができた。日本国内で700ヶ所、回るのに1年半かかったよ。それから海外の駐在員のところを飛行機で回った。それも半年かかったもんだ。うちの社員でありながら、オレの顔を見たことがないのが大勢いるんだ。ことに地方の出張所や、SFというサービス機関の社員とかね。一人ひとり手を握ったんだ。オレは涙が出た。むこうの若い連中も泣いたよ。けど、オレは士気を鼓舞するなんて気じゃない。自分が嬉しいからやるんだ。オレは社長を辞めて、やっと人間らしいものにいきあったよ。」